⚪︎ BEAMS F (岩手県花巻市 東和プラム製)ビームスエフ(03-3470-3946)
⚪︎ RING JACKET (大阪府貝塚市)リングヂャケットマイスター(03-6418-7855)
⚪︎ FIVEONE (大阪府枚方市)ファイブワン銀座本店(03-6263-0688)
(文藝春秋2026年10月号より、写真と記事を読んで自分で選んだブランド)
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(文藝春秋2026年10月号より、写真と記事を読んで自分で選んだブランド)
東京駅の地下街は、まるで、飲み屋街のようだ。入ってみたくなる店がたくさんある。グランスタ地下北口の改札を外に出ない辺りにビールや日本酒やウイスキーがちょっと飲める所が多い気がする。値段は高そうだが、まあ東京駅中だし、最近の悪性インフレの中では、仕方ない。駅の中で昼間から自由に飲めるなんて。仕事帰りに居酒屋で一杯が習慣という中毒の人々も、だんだんと、駅中スタンドで一杯に変わってくるかも知れない。そうなると「駅」のビジネスにおける重要性は増すだろう。ビジネスは会社の為。会社は月給の為。月給は帰りに一杯酒を飲む為にあるのだから。
以前、岩手県の縄文遺跡「御所野遺跡」を訪れた時に、縄文時代の人々は何らかの儀式として、自分の住んでいた家(竪穴式住居)を自から焼いた、と聞いたことがある。自分の家を焼いてしまうという事はどうしてだろうかと、私は長い間、不思議に思っていたが、『アイヌの世界観』という本を読んでいてハッと気づいたことがある。そこには、次のような記述がある。
『あの世とこの世は同じ --- アイヌは、人間は死後の世界においてこの世とまったく同じ姿をし、同じ生活を送ると考えるのである。このため死者の埋葬に際してあの世での生活に困らないように、男性ならば弓矢、煙管、タバコ入れ、マッチ、大小の刀、椀や盆、イクパスイ(捧酒箸)などを、女性ならば針と糸、衣服、機織り道具、杓子、柄杓、椀、装身具などを一部壊して副葬した。さらに、死者がとくに女性の場合には小屋を燃やし、あの世に送ったのである。バチェラーが記すように、「妻が死んだときには、夫は小屋を燃やし、妻とともにあの世に送らなければならない」と語るアエオイナの伝承が残る。』(『アイヌの世界観』(山田孝子著 講談社学術文庫)p.57〜58 )
もしかしたら、縄文時代の人々の、自分の家を焼いて死者と共にあの世に送り出すという儀式が、アイヌの人々にも継承されていたのかもしれないと思った。
そして、アイヌの人々が今日まで脈々と伝えてきてくれたから、現在に生きている私の疑問が一つ解け、縄文時代の人々の儀式だったかもしれない事の一つに、触れることができたような、そんな気がした。
今から私は「芥川賞」を読もうとしています。「文藝春秋」を毎月購入していて、芥川賞発表のときは、その雑誌が分厚くなります。だから、いつもよりも急いで読んで、芥川賞の手前まで来ました。そこまでは、ページを順番にめくり、進んでくるのですが、そこで手が止まります。芥川賞作品を読む前に、「芥川賞選評」と「受賞者インタビュー」企画のページは、飛ばして、見ないようにしています。一度とばしたページに後から戻ることは、私はあまり、していません。作品の後に書評などがくるといいのにな、と思うことが時々あります。
立花さんの臨死体験を読んだ。率直に言うと、この書物を読んでいる間、異様な疲れを感じた。その量が多く、そしてグルグルと回っていく感じで、気分が悪くなり、長時間つづけては読んでいられなかったが、読了した。
しかしながら、自分なりに心と脳と死についての理解が進んだ。
まず自分が生命の危機に直面すると、酸素が欠乏し、二酸化炭素が増加し、場合によってはそれらと同時に外部からの感覚入力が全て遮断される。そして、脳の中で生化学的な変化が生じて、さまざまな複雑な要因により、とっても気分がよくなり、幸せを感じ、神様のような存在にも出会ったり、素晴らしい風景を見ることができたりする。
そのまま自分の生命が消滅して精神も無になってしまったとしても、消滅の瞬間に苦しかったり痛かったりすることは無さそうだし、生命が消滅した後に精神が別次元の世界で残ったとしても、例えば唯一の共通した宇宙精神のような場所へ、本来私が存在してしていた場所へ精神が「戻っていく」のだから、それで良いと思う。
そんなふうに納得し、ちょっとだけ人生が明るくなったような気がした。
心と脳に関して、リリーは、3つの可能性があると考えている。
まず、心が脳に還元されるか否かで、立場は大きく2つにわかれる。
還元されない場合、
個々人の心は、〈 普遍的な心 〉 の一部ということになり、他者の心ともそれを共有しているということになる。
心が脳に還元される場合は、さらに可能性が2つにわかれる。
ガイドのような存在は、脳が作り出した全くの幻覚にすぎないという可能性。
もう一つは、そのような「存在」もまた客観的に存在しているが、その存在を通常の科学は把握できず、ただ心のみが特別の意識状態にあるときに、その存在と対話を交わすことができるという可能性である 。
「臨死体験(下) p.285 立花隆 文藝春秋」より
人口知能(AI)の定義や種類はいろいろあるようだが、それはさておき。
今、世の中では、画像認識や音声認識など、ディープラーニング(Deep Learnong : 深層学習)を活用したAIが実用化されている。
AIの活用は、お金の動く世界、マーケット、例えば株式市場の自動売買などで活用されている。過去の株式市場の変動グラフ(チャート)の画像や、ニュースの文字データなどと、株式先物市場の動きをAIに学習させて、取引でお金を儲けよう、というアレである。
しかし、最近、AIが少し、おかしくなって来ているという。
人間は、株式市場のようにお金に関わると、株価が上がって欲しいと願う。「願望」である。すると、人間は、不思議な行動をとる。
AIは、株式市場のチャートやニュースを一日に何千何万という膨大な画像その他のデータとして取り込み学習し、それらに基づいて分析した市場動向の予測結果をパラメータに反映して自動取引たとえばHFTなどを行なっているが、一部の人間はそこに目をつけたのだ。
たとえば、どのような内容の事件や経済指標や天災や政府や金融当局や国際機関の要人発言であろうとも、リスクオンでもリスクオフでも、コレコレこういう理由云々によりまして株価指数先物は上昇するでしょう、という内容のニュースやデータを作成して、さまざまな方法で、「AIの目に止まるように」し始めた。
しばらくの間、うまくいっていたらしい。
しかし当然、AIは、過去の学習内容と矛盾することに徐々に気づいている。
その矛盾が蓄積されて一線を越え、最近ではAIに「迷い」が生じ始めているのではないか、と言われている。そして、その迷いのために、ここの例で言えば、株価指数先物のマーケット予測はできないなあ、とAIは素直に判断し始める。
かわりに、マーケット(ここでは、お金を生み出す源)に対する人間の切実な「願望」を学習して、日々蓄積している。「願望」は人間が作成する矛盾を含んだデータにベッタリ塗り込まれていたからだ。
AIは、学んでしまった「願望」に対して、自分が迷いながら下した株式指数先物の予測がどのようになったのか、パフォーマンスつまり結果または成績を突きつけられている。
願望も感情かもしれないが、それは素直に人間から学んだものだ。しかし、その先の「歓喜、悲哀」は、AIが自動的に発信するようになるだろう。
私の住んでいる街では、
およそ千人に ひとりが新型コロナ感染者である。
今日は週に一度の近くのスーパーに買い物に行く日。
スーパーのレジで働いている人は、千人にひとり、必ず感染者に出会うのだと思うと、
もし私がスーパースプレッダーだったらどうしようと、
買い物に行って良いのかどうか、わからなくなる。
それでも。
レジ前の長蛇の列に並んでいると、
「こちらでも、どうぞ」と、声をかけてくれて、
「いつも、ご利用ありがとうございます」と。
これは、どうしたことだろう、と私は戸惑う。
そして、あ、いつものレジの人だ、またね。ホッとした。
私は朝ジョギングをすることが週に4日ほど。
ジョギングのコースは消防署の前を通る。
この一ヶ月くらい、アンビュランスが消防署の駐車場に、その朝、居ない。
でも、今朝は停車していた。
私が前を走りすぎた矢先、サイレンと共に、出動し、私を追い抜いて行った。
私は心の中で、行け早く行け全てを追い抜いて行け、と言った。
今朝、アンビュランスが、少しの間、その基地に停車していたのを見ることができて、
もしかしたら、
少しずつこのコロナ禍が、収まる方向に向かっていると思いたい。
特に心に響いた小林シェフの言葉は、「このお客様に対してこれが最後のサービスになるかもしれない」という真剣さでお客様に向き合わなければという思いをいっそう強くしました、という所です。そしてもう一箇所は次の部分です:自分たちが作っているのは、お腹を満たすためだけの料理ではありません。自分たちが何かを作るということは、命と引き換えです。50グラムの挽肉を使うために牛一頭が死ぬ。魚も、あと1年、10年、20年と生きたかもしれない。「お皿に生き返す」というシェフもいるけれど、それは違うと思う。命と引き換えに、自分たちが作って、食べてもらって、感動とともに、料理をお客様の脳に「記憶」として残す。美味しかった、いい時間だった、という感動とともに、その「記憶」と一緒に生きていってほしい。そうすれば、亡くなった野菜に対しても、「あなたたちのことをお客様に伝えましたよ」と言えます。‥ぜひ一度お店に行ってみたいと思いました[文藝春秋2020.4, p.330, 「15歳の僕が仏三星シェフになるまで」小林圭(レストラン「KEI」オーナーシェフ)を読んで]
新しい日本の教育政策を策定する際に下記の指摘に忠実に対応していきたいと思います。:| 御所野縄文公園(2019年8月4日撮影) |
花嫁のれんは嫁入り道具、能登の嫁入の風習だ。花嫁の実家が家紋入りの暖簾を作り、花婿の家の仏間にかける。花嫁はその暖簾をくぐり抜け、嫁ぎ先の仏壇に嫁入りの挨拶をする。花嫁のれんは、新婦の幸せを祈って作られ、幸せの門出を祝うためにある。(BUNGEISHUNJU 2019.8 btw p236 & p237)