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2020年8月16日日曜日

日本はなぜ無謀な戦争を継続したのか?

私は、文藝春秋2020年8月号の記事「日本の地下水脈 五つの国家像」( 保坂正康さん)を読んで、思い当たったことがある。現在の日本は、戦争の時の日本とほとんどそっくり似ていると。つまり、現在の日本は国家というよりは、むしろ、一つの「企業組織」のようなものなのかも知れない。ビジネス目的が第一、経済第一なのかも知れない。現在の社会の上層部(戦時中の戦時指導者に相当)のこの世における生活を維持するために、経済を第一とし、その他の国民を消耗品として扱っている。そう思い当たった。

[以下、文藝春秋2020年8月号 p.398より]

<戦争をビジネスにした日本軍>

日本における資本主義の発展も、軍が主導するかたちで進んだ。軍を強化するためには、艦艇や武器などの生産システムを完備しなければならない。そのため、軍需産業が経済の中心に位置づけられた。また、軍との結びついた資本には、国有財産の払い下げが破格の安値で行われた。

さらに言えば、日清戦争以降、日本は「戦争に勝って相手から賠償金を得る」ことが目的化してゆく。企業が資本を活用してビジネスで利益を上げるように、日本という国家は国民の生命と財産を戦争に投じることによって、利益を上げることを企図してきたのである。

実際、当時の日本がほぼ十年おきに戦争をしていることも、戦争が営利事業であったことを示唆している。

より分かりやすい例がある。昭和20年8月10日と14日、ポツダム宣言を受諾するかどうかを検討する御前会議が開かれた。この時、参謀総長の梅津美治郎は、国民の安全や国体護持のことよりも「賠償金をいくら取られるのか」という懸念を、しきりに口にしているのだ。

私はその記録を読んだとき、日本軍は賠償金を獲得する"ビジネス"として戦争をおこなっていたのであり、軍とは"会社"であったのだ、ということに思い至った。

そう考えると、なぜあの戦争で無謀な戦いを繰り広げたのかも想像がつく。負けたら巨額の賠償金を取られるからである。だからこそ、「勝つまで戦争を続ける」といった不合理な発想に陥り、戦時指導者は兵士の命を消耗品のように扱うことにも感覚が麻痺していったのだ。

[文藝春秋2020年8月号 p.398より]

2017年10月23日月曜日

ツキジデスの罠

「ツキジデスの罠」は、紀元前五世紀、古代ギリシャ世界において、内陸指向国家で覇権国のスパルタが、急激に勃興する都市海洋国家のアテナイに恐怖心を抱き、戦争に至ったペロポネソス戦争を記述した歴史家のツキジデスに由来する。「アテナイの興隆とそれがスパルタに与えた恐怖、それが戦争を不可避とした」、ツキジデスは、そのように断じた。新興国の自信過剰とおごりと覇権国の自信喪失と恐怖感、追う者と追われる者とのこうしたゼロ・サム心理こそが、パワーの均衡と安定の最大の敵、つまり「罠」だというのである。(BUNGEISHUNJU 2017.10, P222) 私はこのツキジデスの罠は、国際政治の世界における中国と米国の関係から、果ては人間ひとり対ひとりに至るまで、この世の中に「ゆらぎ」を生じさせる力の一つのように思える。

2017年1月14日土曜日

エ・プルリブス・ウヌム(多様から生まれた統一)

トランプ氏は「米国第一主義」のもとに移民への排斥主義的な主張を繰り返し、大統領選で勝った。オバマ氏は演説で移民の子どもたちを大切にしなければ「われわれの子どもたちの未来も損なうことになる」と警告した。 … 「エ・プルリブス・ウヌム(多様から生まれた統一)」。米国の国章や硬貨には、ラテン語でこう刻まれている。 (日経  2017年1月12日朝刊6面 国際1)

2016年2月21日日曜日

古代ローマの消費税

古代のローマの消費税と言えば売上税と関税がプラスした率になるが、帝国の首都ローマでのそれが6パーセントでも、国境に沿って連なる軍事基地のある地方は、最高でも3パーセントだった。

理由は、蛮族という仮想敵への最前線に位置することと、それへの対応策である軍事基地があることへの補償、であるのはもちろんだが、それだけではない。

ローマの軍団基地は必要な物資を周辺地域から購入することを義務づけられていたので、消費税を低く押さえることによって、その地域へのヒトとカネの導入を狙った策でもあったのだ。

BUNGEISHUNJU 2016.3, P92-93 文藝春秋2016年3月号[雑誌]

2015年9月5日土曜日

社会に出た女性が子供を産み育てやすい環境を作ることが重要

「歴史人口学の観点からヒントになるのが、江戸時代後期に人口減少に悩んだ藩が、一人ひとりの妊婦や母親の生活実態に合わせた支援を行い、出生率向上に結び付けたという取り組みです。飢饉などによって、奥羽地方や北関東地方では当時、人口が激減していました。そうした中、奥州二本松藩が 《赤子養育仕法》という制度を策定します。江戸時代の日本は、町村ごとに毎年 《宗門人別改帳》という民衆調査のための台帳が作成されていました。これは、住民の信仰状況を記述したもので、ある年に誰それが住んでいるという普段の状況も書き記されていたため、事実上の戸籍としても機能していた。二本松藩の場合、純然たる人口調査である 《人別改帳》が毎年、町や村を単位に作成されていました。この人別改帳を基にして、妊娠の有無や出産後の経緯を調べ、それぞれの状況に応じてきめ細かく出産時の養育費用を給付したのです。財源は商人から集めた運上金の利息を用いて、藩の財政とは切り離して支給していました。商人たちに、人口が増えれば結果としてお客さんが増えるから、自分たちも先々儲かるという見通しがあったかどうかは分かりませんが、この赤子養育仕法が効を奏したのか、幕末期には出生率が向上し、人口も増大基調に向かったのです。この二本松藩のアイデアは、今の日本社会の少子化対策にも応用できるのではないでしょうか。子どもを産み、育てる女性にどれだけきめ細かな支援ができるのか、それが政府に最も求められていることです。」(BUNGEISHUNJU 2015.9 p474, 速水融著『日本の人口減少 ちっとも怖くない』より)文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]

2015年7月19日日曜日

ADB(アジア開発銀行)を強化してアジア•インフラ•ファンドを作る

AIIBに参加不参加よりも、日本には検討すべきことがある。ADB(アジア開発銀行)を強化してアジア•インフラ•ファンドを作る案。アジア開発銀行研究所の河合正弘さんのレポート(2009年)の先見性ある考案について積極的に進めるべきだ。(BUNGEISHUNJU 2015.6)

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