2015年9月5日土曜日

社会に出た女性が子供を産み育てやすい環境を作ることが重要

「歴史人口学の観点からヒントになるのが、江戸時代後期に人口減少に悩んだ藩が、一人ひとりの妊婦や母親の生活実態に合わせた支援を行い、出生率向上に結び付けたという取り組みです。飢饉などによって、奥羽地方や北関東地方では当時、人口が激減していました。そうした中、奥州二本松藩が 《赤子養育仕法》という制度を策定します。江戸時代の日本は、町村ごとに毎年 《宗門人別改帳》という民衆調査のための台帳が作成されていました。これは、住民の信仰状況を記述したもので、ある年に誰それが住んでいるという普段の状況も書き記されていたため、事実上の戸籍としても機能していた。二本松藩の場合、純然たる人口調査である 《人別改帳》が毎年、町や村を単位に作成されていました。この人別改帳を基にして、妊娠の有無や出産後の経緯を調べ、それぞれの状況に応じてきめ細かく出産時の養育費用を給付したのです。財源は商人から集めた運上金の利息を用いて、藩の財政とは切り離して支給していました。商人たちに、人口が増えれば結果としてお客さんが増えるから、自分たちも先々儲かるという見通しがあったかどうかは分かりませんが、この赤子養育仕法が効を奏したのか、幕末期には出生率が向上し、人口も増大基調に向かったのです。この二本松藩のアイデアは、今の日本社会の少子化対策にも応用できるのではないでしょうか。子どもを産み、育てる女性にどれだけきめ細かな支援ができるのか、それが政府に最も求められていることです。」(BUNGEISHUNJU 2015.9 p474, 速水融著『日本の人口減少 ちっとも怖くない』より)文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]

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