2019年3月21日木曜日

宋の子罕

昔、支那の宋の国に子罕という人があって、或る人がこの子罕に大変結構な一つの玉を進上しようと言うて来た。所がその子罕がそれを退けて、これは受けることが出来ないと言うた。その人が言うに、私は折角あなたに進上しようと思うのにあなたが受けられぬというのは、何かこの玉に欠点でもあるのか。もしそうならば玉造りに見せて、調べさせても宜いが、この玉は最も優れたる玉という鑑定を得て、態々あなたに進上したいと思って持って来た、どうしてもこれを受けて下さらぬかと言うたならば、子罕が答えて言うのには、「我は貪らざるを宝となす」。今、私に下さろという玉は世の中の宝であろうが、吾れに於いてそれは宝ではない。吾れ自身に於ては貪らざるこの精神上の一つの趣味を以ってそれを宝として居る。玉の様な宝物は他の人に与えたら宜しかろうと言うて、玉を受けなかったという.... (『禅海一瀾講話』釈 宗演 岩波文庫 p496-497, 『春秋左氏伝』襄公 15年)

アクセスの多い記事