2023年8月21日月曜日

東京駅中飲み屋街

東京駅の地下街は、まるで、飲み屋街のようだ。入ってみたくなる店がたくさんある。グランスタ地下北口の改札を外に出ない辺りにビールや日本酒やウイスキーがちょっと飲める所が多い気がする。値段は高そうだが、まあ東京駅中だし、最近の悪性インフレの中では、仕方ない。駅の中で昼間から自由に飲めるなんて。仕事帰りに居酒屋で一杯が習慣という中毒の人々も、だんだんと、駅中スタンドで一杯に変わってくるかも知れない。そうなると「駅」のビジネスにおける重要性は増すだろう。ビジネスは会社の為。会社は月給の為。月給は帰りに一杯酒を飲む為にあるのだから。

2023年4月29日土曜日

縄文時代に自分の家を自分で燃やす儀式について

 以前、岩手県の縄文遺跡「御所野遺跡」を訪れた時に、縄文時代の人々は何らかの儀式として、自分の住んでいた家(竪穴式住居)を自から焼いた、と聞いたことがある。自分の家を焼いてしまうという事はどうしてだろうかと、私は長い間、不思議に思っていたが、『アイヌの世界観』という本を読んでいてハッと気づいたことがある。そこには、次のような記述がある。


『あの世とこの世は同じ --- アイヌは、人間は死後の世界においてこの世とまったく同じ姿をし、同じ生活を送ると考えるのである。このため死者の埋葬に際してあの世での生活に困らないように、男性ならば弓矢、煙管、タバコ入れ、マッチ、大小の刀、椀や盆、イクパスイ(捧酒箸)などを、女性ならば針と糸、衣服、機織り道具、杓子、柄杓、椀、装身具などを一部壊して副葬した。さらに、死者がとくに女性の場合には小屋を燃やし、あの世に送ったのである。バチェラーが記すように、「妻が死んだときには、夫は小屋を燃やし、妻とともにあの世に送らなければならない」と語るアエオイナの伝承が残る。』(『アイヌの世界観』(山田孝子著 講談社学術文庫)p.57〜58 )


もしかしたら、縄文時代の人々の、自分の家を焼いて死者と共にあの世に送り出すという儀式が、アイヌの人々にも継承されていたのかもしれないと思った。


そして、アイヌの人々が今日まで脈々と伝えてきてくれたから、現在に生きている私の疑問が一つ解け、縄文時代の人々の儀式だったかもしれない事の一つに、触れることができたような、そんな気がした。

2022年2月26日土曜日

書評などについて思うこと

 今から私は「芥川賞」を読もうとしています。「文藝春秋」を毎月購入していて、芥川賞発表のときは、その雑誌が分厚くなります。だから、いつもよりも急いで読んで、芥川賞の手前まで来ました。そこまでは、ページを順番にめくり、進んでくるのですが、そこで手が止まります。芥川賞作品を読む前に、「芥川賞選評」と「受賞者インタビュー」企画のページは、飛ばして、見ないようにしています。一度とばしたページに後から戻ることは、私はあまり、していません。作品の後に書評などがくるといいのにな、と思うことが時々あります。

2021年9月1日水曜日

心と脳と死について

 立花さんの臨死体験を読んだ。率直に言うと、この書物を読んでいる間、異様な疲れを感じた。その量が多く、そしてグルグルと回っていく感じで、気分が悪くなり、長時間つづけては読んでいられなかったが、読了した。

しかしながら、自分なりに心と脳と死についての理解が進んだ。

まず自分が生命の危機に直面すると、酸素が欠乏し、二酸化炭素が増加し、場合によってはそれらと同時に外部からの感覚入力が全て遮断される。そして、脳の中で生化学的な変化が生じて、さまざまな複雑な要因により、とっても気分がよくなり、幸せを感じ、神様のような存在にも出会ったり、素晴らしい風景を見ることができたりする。

そのまま自分の生命が消滅して精神も無になってしまったとしても、消滅の瞬間に苦しかったり痛かったりすることは無さそうだし、生命が消滅した後に精神が別次元の世界で残ったとしても、例えば唯一の共通した宇宙精神のような場所へ、本来私が存在してしていた場所へ精神が「戻っていく」のだから、それで良いと思う。

そんなふうに納得し、ちょっとだけ人生が明るくなったような気がした。

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